崔 現郁(チェ ヒョンウク)牧師

こんにちは😃 崔現郁チェヒョンウク牧師です。
教会ではチェ先生と呼ばれてますが、またチェバリスタというニックネームもあります。神戸キリスト教会では主日礼拝後に皆んなで食事会をしますが、そのあとコーヒータイムがあって、そのコーヒーを用意しています。皆んなから“チェ先生のコーヒー美味しい”と言われるととても嬉しいです。
元々の趣味は釣りでしだ。しかし、日本に留学し、また牧師になってからは行けてないです。しかし、聖書には“わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう”とイエス様が言われた箇所もあり、用いられることを願いなから毎日聖書を研究しています。日本に来て30年、結婚して20年になりました。人生の友である李伝道師と可愛い娘たち3人と今までこれた時間は幸いな時間で恵みです。今からもいつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する日々を神戸キリスト教会の家族たちと過ごしたいです。よろしくお願いします。
李 永美(イ ヨンミ)伝道師

アンニョンハセヨ、こんにちは。李永美イヨンミ伝道師です。皆さんを歓迎します。
語学研修のため日本に来て、訪れた教会で神様の愛に触れました。日本で恵まれたことに感謝し、また多くの方々がその愛に触れてほしく、神戸キリスト教会で働いています。日本の温泉とご飯が大好きで、趣味は読書です。子どもが大学生になり、今年から私も大学でキリスト教相談心理学を学び始めました。個人の精神健康や健康的関係づくりなどを助け、皆の魂の救いと幸せな生活に役立つ働きをしたいです。
私が教会に来たキッカケ

私が初めて教会に来たのは2007年の夏でした。大学で、宣教師の先生から「コリアンカフェがあるけど、来てみない?」と声をかけられ、勧められるままに参加して、楽しい時間を過ごしました。知らない世界に興味があったのと、若かったことが理由でしょう。それがきっかけで日曜礼拝に行くようになりました。そのころ、日曜日は暇でしたから。
しかし、礼拝の説教はまったく理解できず、聖書にも興味がわきませんでした。覚えているのは「あなたのために死んだ方がいる」という暗い讃美歌だけです。その後、聖書の勉強が始まり、いつの間にか洗礼準備クラスにも参加するようになりましたが、勉強が終わるころには「これは私の神ではなく、皆さんの神なんだろう」と思い、洗礼を断りました。
その後も聖書の勉強と教会通いは続きました。先生方と伝道に行ったり、伝道集会を運営したりする機会も増えましたが、揺るぎない信仰があったわけではありません。言われるから教会のメンバーとして活動しているだけで、奉仕が多すぎたり精神的にしんどくなったりすると何度も逃げ出しました。
それでも主なる神様は私を導いてくださいました。中学校の教師をしていた2017年、心が折れて休職したとき、教会でたくさん祈り、賛美しました。そのとき、「わたしに頼りなさい、わたしに依存しなさい」という神様の声を聞き、自分でがんばるのではなく神様に依存して生きてよいのだと初めて知りました。その時から「主に頼り、がんばらないで生きる」が、私のテーマになりました。
その後、中学校教師を辞め、人生の休息期間中に改めて聖書を読み、祈り、また読み、を繰り返しました。そのとき、過去の自分の罪が次々と心に浮かび、とても泣きました。ひどいことをたくさんしてきた人生だったと悔い改める中で、主は語りかけてくださいました。
このように①教会・礼拝に継続して参加し ②教会での聖書勉強と先生方の祈りを受け ③自分でも聖書を読み、祈ったことこれらが私に信仰を与えてくれたと考えています。これが「どうやって神様を信じるようになったのか」についてです。ありがとうございました。
제가 처음 교회에 간 것은 2007년 여름입니다. 대학교에서 선교사 선생님께 말을 걸어주셨습니다. “코리안 카페가 있는데, 오지 않을래?”라고 권유받았습니다. “코리안 카페”에 참가하여 즐거운 시간을 보냈습니다 (모르는 세상에 관심이 있었거든요. 젊었으니까요). 그것을 계기로 주일 예배에 참석하게 되었습니다 (일요일은 한가했으니까요). 하지만 예배 말씀은 전혀 이해할 수 없었습니다. 성경에는 전혀 흥미가 없었습니다. “당신을 위해 죽은 사람이 있다”는 어두운 찬송가만 기억합니다. 그 후 성경 공부가 시작되었고, 어느새 세례 준비 공부도 시작되었습니다. 하지만 세례 공부가 끝났을 때, 저는 세례를 거절했습니다. “제 하나님이 아니라, 여러분의 하나님이겠죠?”라고 생각했기 때문입니다.
그 후에도 성경 공부는 계속되었고, 교회에 다니는 것도 계속되었습니다. 교회를 오래 다니게 되면서, 선생님들과 전도를 가거나 전도 집회를 운영하는 일도 많아졌지만, 굳건한 신앙이 있었던 것은 아닙니다. 저는 교회의 멤버이고, 하라고 하니까 했을 뿐입니다. 그래서 봉사가 너무 많거나 멘탈이 힘들 때는 도망쳤습니다. 몇 번이고 도망쳤습니다.
하지만 하나님은 저를 인도하시는 분입니다. 제가 중학교 교사를 하던 때, 마음이 약해져 휴직했던 적이 있습니다. 2017년입니다. 교회에서 많이 기도하고, 많이 찬양했습니다. 그때 “내게 의지해라, 나에게 의존해라”라는 하나님의 음성을 들었습니다. 제가 애쓰는 것이 아니라, 하나님께 의지하며 살아도 된다는 것을 알게 된 것은 그때가 처음이었습니다.
그 후 중학교 교사를 그만두었지만, 인생의 휴식을 취하는 동안 다시 성경을 읽고, 기도하고, 또 성경을 읽었습니다. 그때 저의 과거 잘못들이 많이 떠올라 많이 울었습니다. 매우 심한 일들을 많이 한 인생이었다고 회개했습니다. 그때도 주님은 말씀해주셨습니다.
이처럼 ①일단 교회・예배에 계속 참여해온 것 ②교회에서 성경 공부를 해왔고, 선생님들이 기도해주신 것 ③저 스스로도 성경을 읽고 기도한 것. 이것들이 저에게 신앙을 주었다고 생각합니다. 무언가 참고가 된다면 좋겠습니다.

みなさん、こんにちは。
私は神戸キリスト教会に8年通っています。しかし、洗礼を受けたのは去年の10月のことでした。元々クリスチャンじゃなかったのにらどうして礼拝を捧げるようになり、洗礼を受けるにもまで至ったのか、実は私も、不思議に思うことが多々ありました。今までのことを振り返ると、まさしく神様が、長い時をかけて、一歩ずつ私を導いてくれたからだ、と気づくことができました。
私が神様と出会う最初のきっかけは、宣教師先生で、大学で知り合いました。私と先生との出会いは、全くの偶然でした。元々先生は、私の友達に声をかけていましたが、「私も一緒に行っていい?」と友達に尋ね、そこで先生と出会い、大学でキリスト教や聖書のみことばを学ぶようになりました。ちなみに、この時の私は大学一年生でした。
先生にキリスト教のことを教えてもらい始めた時、私は、神様やみことばを信じず、キリスト教を、知識として知ろうとしていました。当時、大学でヨーロッパの文化を学んでいたので、キリスト教の知識は役に立つと考えたからでした。先生のお話を聞きながらも、当時の私は「神様なのに、人の姿をもったイエスキリスト?唯一の存在の神?なんじゃそりゃ」と考えていました。そんな中、神戸キリスト教会にも遊びに行かせてもらうようになって、私はキリスト教やみことばよりも、大きく私の心に残る物に気づくことができました。それは「教会の人たちは、どうしてこんなに優しくて、いつも私を受け入れてくださるのだろう?」と言う疑問でした。身知らずの人にここまで優しくできるのだろうか。彼らは私を騙そうとしているのではないか。でも、彼らをよくみていると、騙そうとしているなんて、考えられない。これはいったいどういうことだろう?と思い続けました。今思えば、このような疑問は、みことばを知らなかった、つまり神様と出会えていなかったからこそ起こった当然の結果でした。そして神様は、そんな疑問だらけの私に、真実の道、つまり神様を信じるための道を示してくださったのです。
先生との出会い以外で、私にとって大きな転換点だったのは、イギリスへの留学です。留学先では、なかなか友達ができず不安だらけでしたが、自分から積極的に話しかけ、少しづつ友達を作ることができました。そんな中で、一番最初に仲良くなった子は、なんとクリスチャン、しかも牧師の娘でした。ある日、彼女に誘われて、地元の教会での夕食会に行きました。そこで、教会の兄弟姉妹たちが、暖かく私を迎えてくれて、いろんな話をすることができました。この経験を通じ、私はとあることに気がつきました。それは「ここの人たちも、神戸キリスト教会の人たちと同じように、とても優しく温かな態度で接してくれる。きっとこれには、何か秘密があるんだ。もしかしてその秘密とイエスキリストが関係あるのではないか。イエスキリストや聖書についてもう少し深く学んでみよう」と言う思いでした。その日から私は、友達と一緒に、毎週木曜日にある聖書勉強会に参加するようになりました。学生や社会人たちを一つにまとめている神様や聖書の凄さを感じ、聖書のみことばを読んでる中で、「聖書って結構正しいこと言ってるな」と発見することができました。これらの経験をきっかけに、聖書、そしてイエスキリストが、ただの知識ではなく、何か正しいものを示してくれるような存在だと捉えるようになりました。
日本への帰国後、聖書のことをもっと知りたいと思うようになり、神戸キリスト教会の木曜聖書勉強会に参加したり、先生と聖書の勉強をさせてもらいました。神様が、ヨンミ先生や神戸キリスト教会の兄弟姉妹たちを通じて、私と神様との縁をしっかり繋いでくださいました。おかげで、帰国後、そして大学院時代も、神様のことを心の隅に留めて、生活することができました。
就職後、教会へ、しばしば通うようになりました。とはいえ、まだ当初は、暇だから行くという思いを抱いて通っていました (まだそこまで、神様の存在を確信していなかったのです) 。しかしそんな時に、神様は決定的な瞬間をお与えくださいました。就職してすぐ後、私は気の合わない同期や先輩に悩んでいました。毎日、心の中で彼らを罵しりました。罵るだけの生活に、私は本当に嫌気が差していました。昔から自分に合わない人が少しでもいると、すぐに文句を言ってしまうのが、私の悪い癖だったのです。そんな時、主日礼拝でのチェ先生の説教を通じて、神様が「隣人を愛しなさい。」と諭してくださいました。それを聞いた私は、憎しみしかなかった最中で意外なことを提示してもらった気持ちでいっぱいになりました。「もう憎むことしか残されていないんだったら、一回神様の言う通りにして、同期や先輩を愛してみるか」と思うようになりました。すると、私の生活が大きく変わって行きました。今まで嫌なところしか見えていなかった同期の、良いところや長所を見れるようになりました。また愛ゆえに、先輩の状況を多角的に見ようとするようになり、忙しい先輩に、憎しみではなく、憐れみを感じることができるようになりました。この心の変化に気づいた途端、私は思わず「神様って本当にいらっしゃるんだ!」「教会の人たちが見せてくれた温かさは、愛だったんだ!」と心から確信するようになりました。それから、少しづつ主日は必ず予定を空けて礼拝に行けるようにしたり、朝に日々のみことばを読んだり、神様に勇気づけられながら、日々みことばに向き合えるように努力する生活を送るようになったのです。そして去年の8月ごろ、私は「一人のクリスチャンとして、洗礼を受けたい」と思うようになり、10月に洗礼を受けることができました。洗礼を受けた後は、これまで礼拝でしか祈ることをしなかった私の態度が改められ、日々の生活の中で、神様の導きを意識しながら祈るようになりました。
これまでを振り返ってみて、私を待ってくれた神戸キリスト教会のみなさん、そして神様に、本当に感謝しています。7年の月日をかけて、神様は導いてくださいました。主がくださった恵みを忘れず、これから起こる困難や予期せぬことも、主と共に歩んでいけるように祈りたいと思います。
